藤井聡太竜王がプロ棋士として中学生で活躍しています。
どれくらいすごいことなのか調べてみました。
『究極のヒエラルキー社会』
『弱肉強食の世界』
藤井聡太竜王もプロを目指すべくして奨励会へ入会。
プロ棋士を目指すには『奨励会』へ入会する必要があります。
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目次
藤井聡太竜王の奨励会時の成績
↓昇級した月日と年齢です。
※※表は横にスクロールできます(スマホ)※※
6級入会 | 2012年 9月22日 | 10歳2ヶ月 |
5級昇級 | 2012年11月10日 | 10歳3ヶ月 |
4級昇級 | 2013年 5月 5日 | 10歳9ヶ月 |
3級昇級 | 2013年 6月 3日 | 10歳10ヶ月 |
2級昇級 | 2013年 9月15日 | 11歳1ヶ月 |
1級昇級 | 2014年 3月17日 | 11歳7ヶ月 |
初段昇段 | 2014年 6月21日 | 11歳11ヶ月 |
ニ段昇段 | 2015年 2月28日 | 12歳7ヶ月 |
三段昇段 | 2015年10月18日 | 13歳2ヶ月 |
四段昇段 | 2016年10月 1日 | 14歳2ヶ月 |
↓こちらは可視化したグラフです
提供:「分かりやすさが第一」様
↓タイトル獲得に関して、こういう目安のようなものが存在しています。
- 初段昇段14歳ほどでタイトル獲得までの可能性がかなり高い
- 16歳、18歳となるとタイトル獲得まで厳しい道のりになってしまう可能性がある※挑戦者止まりetc
- 今はAIで鍛えられている世代もあるので、年齢はもっと低くなる可能性もある
初段昇段年齢が11歳なのでかなりの好成績、三段リーグ入りは、13歳8カ月(三段リーグ入を決めたのは13歳2ヶ月)と最年少記録となっています。
通称『鬼のすみか』とも称されている三段リーグは、実力はもちろんのこと、運も大きく作用するもので、さすがの藤井三段(当時)も1期抜けは厳しいのでは?という声も聞かれたようですが、見事1期抜けされました。
三段リーグからの昇段ラインはどのくらい?
三段リーグを抜けるためにどれくらいの勝率が必要かと言いますと・・・
- 2016年4月にプロ入りの3名
- 2016年10月にプロ入りの2名
都成竜馬三段(当時)14勝4敗、井手隼平三段(当時)12勝6敗、佐々木大地三段(当時)
※佐々木大地三段(当時)はフリークラスからのプロ入りです
藤井聡太三段(当時)13勝5敗、大橋貴洸三段(当時)12勝6敗
大体このあたりの勝率が必要になってくるようです。
※年度によっては14勝しても昇段できないときもあります。
豊島将之八段(現竜王)がそうです。
例えば、豊島竜王のときは、14勝4敗で勝率が同じ棋士に佐藤天彦三段(当時)がおりました。
前期の成績で、前期成績2位の佐藤天彦三段(当時)がプロ入り、前期成績3位の豊島将之三段(当時)は、同勝率でこの年プロ入りできず。。
ただし、次の年に14勝4敗で文句なしの昇段を果たされてます。
-
実は、佐藤天彦三段(当時)は、前期順位戦で次点となりフリークラスでプロ入り可能でしたが、佐藤三段(当時)は、フリークラスでのプロ入りを蹴って、奨励会に残る決断をされたのでした。
フリークラスは10年で結果を出さなければ引退、当時の佐藤天彦名人(現九段)は16歳。
奨励会は26歳までで、どちらにしてもプロになるまで10年は要します。
奨励会のに残った翌年に、順位差で佐藤三段が(当時)プロ入りを果たし、豊島将之三段(当時)は前期3位の成績でこの年プロ入り果たせず。
その翌年に、無事豊島三段(当時)は14勝4敗で文句なしの昇段を果たされてます。
勝率がかぶったときはどうなるの?
三段リーグも前期の成績で順位付があり、その順位が良い人がプロへ昇段できます。
大橋貴洸三段(当時)の前期順位は1位。
残る1枠は大橋貴洸三段(当時)が勝ち取る形となり、藤井聡太三段(当時)と同時にプロ入りになっています。
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プロ棋士の登竜門『奨励会』とは!?
奨励会への入会は・・・
司法試験よりも難しい
そしてプロ棋士になるのは・・・
東大合格よりも難しい
なんて言われています。
藤井聡太竜王の27連勝目の対戦相手、藤岡隼太アマは東大生でしたが、バラエティ番組でインタビューを受けたときに「ボッコボコにされました」と言われていました(^^;
比べるべきものではないかもしれませんが、型にはまった問題だけでなく、未知のものを解き明かす力が必要であり、プロ棋士は別格という考え方もあるようです。
ちなみに東大生が選んだ現代日本と天才ランキングでは藤井四段(当時)が1位でした^^
出典:フジテレビ
- 6級~3段※10歳~25歳までが所属できます
- 4段になると『プロ棋士』
基本的に奨励会は6級まで、6級で降級して7級でも年齢が若いときには様子を見るときもあります。
※ただし、7級の時点で成績が悪いと退会
月に2回対局をして一定の成績を収め、級を上げていきます。
藤井聡太さんも愛知から大阪へ対局をしに行かれていました※朝4時半~です(;^_^A
お母様は付き添いで、行きの電車の中は緊張からか会話は一切ナシ、それほどに奨励会は精神的にもかなり過酷なようです。
三段リーグがプロ棋士への試験に相当し、ここでの対局は弱肉強食の世界そのものだそうです。
実力だけがものをいう場であり、小学生がいたり、高校生もいたり、年齢なんてバラっバラ。
対局に勝って昇段して拍手されるも、パ・・・チパ・・・チと祝福とは縁遠い拍手があることも・・
- 勝率を7割を維持
- 7割に満たないときは退会か降級
藤井聡太、奨励会3級で降級点Bがついた過去
このときは降級点Bが付いています。
プロを目指したのは、小3のとき、全国小学生倉敷王将戦という大きな棋戦で優勝を飾ったのがきっかけだ。
その翌年、ついに奨励会に挑む。
まだ小学生の聡太くんを全面的にバックアップしたのは、母の裕子さんだった。『月に2回、名古屋から新幹線に乗って大阪の関西将棋連盟に通っていました。朝4時半に起きて朝食の準備をして、5時に聡太に食べさせて……。8時には将棋会館に到着するように、5時半には自宅を出発していました』
なかなか勝てずに苦しむこともあった。
奨励会で6連敗したときのことは、裕子さんにとっても記憶に残っている出来事だ。『会館の中では悔しさを胸の内におさめていたんだと思いますが、私と一緒に会館を出たとたんに、もう大泣き。自信を失っていたんだと思います。でも、私は、聡太の気が済むまで黙って見守るしかありません。それでも一緒に悲しんでいるつもりなんですが、聡太は『お母さん、ボクが負けると機嫌悪いよね』って言うんですよ(苦笑)』
大嫌いな負けを一緒に悔しがり、次の勝ちにつなげる。
聡太くんとともに母・裕子さんも喜び、そして泣いてきた。
その積み重ねが、聡太くんを負けず嫌いのプロ棋士に成長させたのだろう。
出典:http://jisin.jp
- 段以下のとき2勝8敗以下で降段級点
- Bを消せないまま2勝8敗以下の成績を取ると降級・降段
- Bは降段級点を消すには3勝3敗以上の成績が必要
そんな中で小学生のころから鍛えられれば・・・
対局に取材陣が殺到、場所取りでふすまが倒され怒号が鳴り響くも冷静に対応できるのも少し理解できる気がします。
※29連勝達成時の出来事で、70社100名ほどの報道陣が押しかけていたそうです
奨励会へはどんな子が入会できるの?
アマチュア二段で研修会にはかろうじて合格できるようなレベル。
研修会の上位層でさえ、奨励会に推薦してもらえているのは一握り、奨励会は入会するだけでもハードルが高いそうです。
県トップクラスの大人達に容易に勝つ小学生が目指す世界のような感じ。
AI将棋などで年々レベルは上がっているので、現在はもっと厳しいかも。
その強い子供たちが年100名ほど受験します。
合格率は20%
その中で三段まで昇段できるのが数名。
集められた天才たちを相手に勝って勝って勝ちまくった者だけが三段リーグに到達できるシステム。
2007年度より創設された三段リーグ、これがプロ棋士への道をかなり厳しいものにしています。
※鬼のすみかとも称されてます
殆どが脱落
勝率を上げないと脱落する以外はないのです。
- 21歳までに初段になること
- 26歳までにプロになること
4段になりプロ棋士になれるのは年4名。
150名が奨励会に在籍してもプロ棋士になれるのは僅かという訳です。
町道場で神童と呼ばれ活躍するも、全国からプロ棋士を目指すこどもたちの集結の場。
いくら神童と呼ばれていても、今まで対戦していた相手とは訳が違います。
皆が強い
その奨励会での勝率を維持することと、年齢的な壁。
一生懸命将棋に打ち込んで『奨励会退会』となってしまうと何も残らないという現実で、精神的重圧も凄まじいそうです。
そして昇段を一度逃すとまた1から。
精神面の構え方が勝敗を決するといっても過言ではないかもしれないです。
そこから更にプロ棋士になるには・・・
『才能、努力、精神力』
これが常人以上の人ではないと厳しい世界。
そんな特別な人々の集まりがプロ棋士というわけです。
この条件も満29歳のリーグ終了時まで。
その期間中負の数が多くなればその時点で退会となります。
よほどの覚悟がないと・・・あっても難しい世界・・・ですよね。
藤井初段 251日
藤井二段 232日
藤井三段 348日
藤井四段 487日
藤井五段 15日
藤井六段 89日
藤井(棋聖)七段 824日
藤井(二冠)八段 316日