第77期順位戦、藤井聡太七段の第4局対戦相手は青野照市九段。

対局は藤井聡太七段の後手番、持ち時間各6時間、初手合です。

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目次

青野照市九段の略歴

出典:竜王戦中継plus

生年月日:1953年1月31日(65歳)
1974年4月1日(21歳)プロ入り
出身地:静岡県焼津市
師 匠:(故)廣津久雄九段
竜王戦:6組(1組⇒6期)
順位戦:C級1組
※2009年と2015年に2度にわたり降級点を抹消するも、前期B級2組順位戦で、降級点2となり降級(2勝8敗)
得意戦法:居飛車党
※対振り飛車定跡の鷺宮定跡創始者であり、後手番一手損角換わり戦法を広めたひとり、横歩取り青野流も有名

◎棋戦優勝歴
新人王戦 2回(1974年度、1979年度)

1968年 4月(15歳) 4級 奨励会入会

1970年 5月(17歳) 初段

1972年 1月(18歳) 三段

※三段リーグ戦なし

1974年4月1日(21歳) 四段 プロ入り

1975年度、第30期順位戦でC級1組へ昇級決定

1976年4月1日(23歳) 五段
※順位戦C級1組昇級

1978年度、第37期順位戦でB級2組へ昇級決定

1979年4月1日(26歳) 六段
※順位戦B級2組昇級

1979年度、第38期順位戦でB級1組へ昇級決定

1980年4月1日(27歳) 七段
※順位戦B級1組昇級

1982年度、第41期順位戦でA級へ昇級決定

1983年4月1日(30歳) 八段(順位戦A級昇級)

1985年度、第44期順位戦でB級1組へ降級決定

1986年度、第45期順位戦でA級へ復帰決定

1990年度、第49期順位戦でB級1組降級決定

1994年8月5日(41歳) 九段(勝数規定)

1999年度、第58期順位戦でA級へ復帰決定

2003年度、第62期順位戦でB級1組へ降級決定

2005年度、第64期順位戦でB級2組へ降級決定

2009年度、2015年度に降級点を抹消するも、2016年度(第75期)、2017年度(第76期)順位戦で降級点2となりC級2組へ降級決定
※降級点2で降級

青野照市九段の成績やレーティング

’18年8月24日現在

青野照市九段(137位)1411
藤井聡太二冠(1位)1824

レーティングとは??
簡単に説明すると・・・

  • 強い人に勝てばたくさん点数がもらえて、弱い人に勝ってももらえる点数は少ない
  • 強い人に負けても失う点数は少なく、弱い人に負ければたくさん点数を失う

 
★所属クラス(A級~C級2組)で、大体の強さは想像できますが、所属クラスは必ずしも現在の強さを反映したものではないのに対して、レーティングは現在の強さを、対局毎に変動する数値で表現したものです

平均的な棋士のレーティングを1500として計算されています。

レーティング一覧はこちら

最近の勝敗も反映されている数値なので、所属クラスと合わせて目安にされると良いと思います。

ちなみにレーティングトップは豊島将之棋聖の1876(8/24現在)。


’18年8月24日現在

青野照市九段

対局数 勝率
通算 1549 764 785 0.4932
本年 10 4 6 0.4000

※2017年度勝率は0.2800

藤井聡太七段

対局数 勝率
通算 102 87 15 0.8529
本年 19 16 3 0.8421

※2017年度勝率は0.8356
※2017年度の成績で『勝率』『対局数』『勝数』『連勝』部門でトップとなり、4冠達成
 
出典:将棋連盟

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順位戦の概要

  • 39人参加のリーグ戦
  • 同星ながら今期順位(前期成績順位)差で昇級できないという頭ハネも起きやすく、1期で抜けるのは困難

※10戦して上位2人に入れば、B級2組に昇級が決定
※同勝数のときは今期順位(前期成績順位)の良い人が昇級
※リーグ戦成績の全勝者が3名以上いる場合は、全勝者全員が昇級
※全勝もしくはそれに近い勝率が昇級には必要
藤井七段(当時)は今期順位31位/39名
棋士の基本給は順位戦のランクが元

C級からA級に上がるのは至難の業

たとえC級2組で全勝してもいきなりA級といった飛び級はなく、C級1組に昇級となります。

C2→C1→B2→B1→A

と昇級していくのが決まり。


出典:AmebaTV

※ちなみに名人と対局できるのはA級棋士のみ

藤井聡太七段VS青野照市九段、生中継情報

携帯アプリは10:00~
追記します