藤井聡太二冠が高校退学を決断されたとのことで、過去記事修正致します。
この問題と言えば、羽生九段が中学生棋士時代に悩まされた問題。
対局や取材が増え、高校での出席日数が危ぶまれ中退することに。
結局通信過程で高校を卒業されました。
藤井聡太四段(当時)も今後対局が増えてくれば、出席日数も気になるところであります。
追記:進学後の出欠については以前から高校側と話し合いがもたれ、何らかの打開策が図られたようです
追記:2021年1月、藤井聡太二冠が高校中退を決断されたようです
- 師匠の杉本八段
- 谷川浩司九段
- 佐藤康光会長
『現時点ではベストの選択。選んだ道を最善手にするのは本人次第です。学業と将棋の更なる精進を期待します』
『熟慮の末の決断でしょう。『指した手が最善手』という言葉も将棋界にはあります。高校へ行って良かったと心から思えるようにしてほしいです。それが出来る人だと思っています』
『悩み、考え、決断したことは一つの財産。大いなる自信を持って日々まい進してもらいたい』
出典:杉本八段、谷川九段コメントはYahooニュースより
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通っていた名古屋大学教育学部附属中学の当時の反応
名古屋大学教育学部附属中学は・・・
- カート競技で世界大会に出場している学生もいる
- 個人で取り組んでいることに対して、比較的大きな目で見てくれている
- 先生も含めて、サラッと受け入れてくれている
- 藤井四段(当時)は実は鉄道ファン
- 対局中の顔とはまるで別人
※同級生と鉄道の会話を楽しむこともある
※同級生も対局に配慮をしてあまり将棋の話は学校でしない
※藤井聡太四段(当時)もしない
※29連勝のときもおめでとうの声が学校に響いたそうですよ^^
藤井聡太二冠は宿題する時間さえも惜しかった
- 宿題をする時間さえも惜しい
- 授業でさえも5分で解ることをなぜ何十分もかけて教えるんだろう?
- 学校の授業をきちんと聞いているから宿題はする必要はない
中学では、休み時間に宿題をされている姿も見られていたそうです。
中学生棋士となった棋士の進路
- 加藤一二三九段
- 谷川浩司十七世名人
- 羽生善治三冠(現九段)
- 渡辺明名人
早稲田大学中退
滝川高校卒
※中高一貫の私立
上野高校通信科卒
聖学院高校卒
※中高一貫の私立
みなさん高校は卒業されています。
羽生善治九段に関しては、対局や将棋関係の仕事で欠席が多くなり、規定の出席日数に満たず、結局高校を中退し通信制で高校を卒業されたようです。
藤井聡太四段(当時)の母、裕子さんはせめて高校までは・・・という思いもあったようでした。
ところが本人は進学について「高校進学の必要性、重要性」を自分なりに考え色々な人に相談していた様子です。
中学校も付属中なので、受験がなく将棋に支障がでないという理由で付属の中学へ進学されましたが、14歳でプロ棋士へ。
2020年には2タイトル奪取という偉業も成しました。
将棋人生で大切な時期ということです。
ちなみにこの時期、羽生九段は25歳でタイトル7冠達成されています。
藤井四段(当時)、高校進学決定に影響?杉本師匠のアドバイス
『私はそもそも本人の考えを知りませんし、もし知っていたとしても、将棋連盟から箝口令をしかれているので言えません(;''∀'')
ここで変なこと言ったら、夕方くらいのネットニュースに流れちゃうし!(;''∀'')
藤井にアドバイスするつもりもありません。』
進学問題は本人に一任されているようでした。
ただ、高校進学した場合の生活は大体想像がついた藤井四段(当時)、中学生生活と差ほど変わりは無い学業との両立になります。
師匠である杉本八段は、これからの進路について想像することが難しいであろうことを、大人として説明なされたようです。
- 進学しないときに将棋連盟が何を藤井四段(当時)に求めているか?
- 学生という肩書きがなくなる藤井聡太氏にメディア露出などによる広告塔としての活躍
- 宣伝効果は計り知れず、将棋連盟の組織の一員としてせざるを得ないことが増えるであろうこと
- 学生として断ることはできなくなるであろうこと
進学をする前の藤井聡太四段(当時)には想像がつきにくいことです。
『それが決断を左右したかどうかは不明ですが』と杉本八段は言われていたようですが、決断するに辺り良いアドバイスになったことは間違いないと思います。
『これからの3年間、将棋とは違った世界でも色々なことを吸収したい。時間的な制約はもちろんあると思いますが、その中で集中してやれば強くなれると思う。』
C2順位戦、脇八段と順位戦後のインタビューでこのように応えられているようでしたが、2020年王位、棋聖の2タイトル奪取により高校へ通うことが難しくなったようです。
※追記:2021年1月末、藤井聡太二冠が高校中退を決断
卒業まであと1ヶ月ほどでしたが、出席日数の兼ね合いもあり、学校と数回話し合いが行われた末に退学を決断されたとのこと。